ロマンチックラブ、つまり僕たちが日常で「恋愛」と呼んでいる情動は、決して古くから認識されていたものじゃない。歴史を辿れば、その起源は12世紀のヨーロッパにある。貴族の宮廷内における婚外恋愛、つまり現在でいう不倫行為における情熱的な男女の結びつきが、「恋愛」という今なお人心を魅了してやまない心的現象の発端となったのだ。
当時、そうした婚外恋愛に苦しむ男女の姿は小説内でフィクションとして描かれ、もっぱら有閑貴族たちの憧れの対象となった。彼らの社会において、結婚という契約はキリスト教的な神聖性を持つものであったが、そうした神聖性を侵犯してまで誰かを思い慕うという情熱が、退屈に倦んでいた貴族たちにとっては崇高なものと感じられたのだろう。こうして恋愛は、忙しく貧しい庶民には手の届かない贅沢品として、歴史にその姿を現したのである。
さて、現代の有閑貴族といえば、我らがあんぐら堂である。かつて貴族の本質はその遊戯性にあると言われたが、自分の偏向した価値観に忠実にこの世を遊んで生きるこの男は、その意味でも実に貴族的であると言えよう。実際、少女との恋愛とセックスを夢見てきたあんぐら堂は、これまでその両方を鮮やかに手にしてきたように思える。それだけではない。労働の汗水を流すことなく、彼は平均を大きく上回る金銭的な収入を遊びながら得ることにも成功している。恋愛が貴族の贅沢品であるならば、あんぐら堂にはその贅沢品を享受する能力がたしかにあるのだ。
しかし、お読みの方の中にはこう思う方もいるのではないだろうか。この男の恋愛など恋愛と呼べるものじゃない、と。少なくとも、そこには真心の気配が感じられないじゃないか、と。
たしかに、あんぐら堂にはいささか情動が欠落したところがあるかもしれない。他人を手段としてのみならず、目的として捉えること。これは哲学者カントによる倫理の定義だが、その意味においては、少女を自分の欲望達成の手段としてのみ捉えているかのように見えるあんぐら堂の生き方は、少女と恋をしたいという本人の願望とは裏腹に、人倫に背いたものだとも言えるだろう。だが、そんな人間味を欠いたあんぐら堂にも人間らしさを取り戻す契機は訪れる。単に記号としてではなく、人間としての少女とまっすぐに向き合うことになる契機が。
それは初逮捕後の裁判が終わって一年が経った頃の話だ。
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「執行猶予がついて、無事に自由の身とはなったものの、弁護士代とかも結構かかったこともあって、今度はお金がなくなってきちゃったんです。なにかしらの食い扶持をまた探さなきゃいけないけど、執行猶予があるし……、さてどうしよう、と」
裁判を終えて間もない頃、あんぐら堂は途方に暮れていた。これまで世の中の裏側をうまく踊り歩いてきた彼だけに、5年という執行猶予の足枷は重く、あらためて堅気の世界でまっとうに生きろと言われても、何をすればいいのかなど皆目見当がつかなかったのだ。保護観察司としてあてがわれた寺の住職は就職を促してくる。しかし、いまさら会社員なんてできる気もしない。20万そこらの給料で労力を搾取されるなどバカバカしいし、サラリーマン社会の踏み絵に応じるには、あんぐら堂の経歴はいささか派手に過ぎた。
「就職したいんですけどなかなかできなくて……と保護司をごまかしながら過ごしてましたが、とはいえ、収入がないのはまずいし。そんな時、今回の家宅捜索で全て押収されていたはずの架空口座が一つだけ押収から漏れていたことが分かったんです。仕方ない、これを使って何かやってみるか、と」
ちなみに、裁判に多額な費用がかかったとはいえ、預金はまだ1000万円程度は残っていた。それを元手にマンションを買い、私設私書箱をやろうかという考えもあったが、せいぜい月に20~30万にしかならなさそうなことを思うと、現実的ではなかった。むしろ、これを原資に再び転売を行うのはどうか。運のいいことに架空口座も一つだけ残った。転売ならば仕入れは安いし、うまくいけば跳ねる可能性もある。
「とはいえ、もちろん明確にブラックなことをやるのはヤバい。執行猶予もありますしね。ただ、留置中の取調べの経験で、警察の捜査のさじ加減みたいなのはすでになんとなく分かってました。内偵の流れ、必要な期間、必要な裏付けといった、立件するのに必要な条件みたいなものがあるんです。その条件が整わないギリギリのラインでやれば大丈夫だろう、と」
目をつけたのは取調べにおいて言い訳として用いた情報商材の転売だった。ヤフオクなどでよくある「儲かる仕組み」や「パチスロ必勝法」といった情報商材を購入し、若干の加工を加えて転売するというわけだ。もし、販売元から警告が来たらすぐにやめればいい。これなら警察も動くまい。確証こそないものの、うまく乗り切れる自信はあった。
「あとエロですね。もちろん前みたいに裏を扱うと一発アウトですが、ちょうどその頃ヤフオクとかで、ネットの拾いエロ動画を一枚のDVDに集めたようなものが3000円くらいで何個も売られてたんです。内容も児童ポルノじゃなくて、単なる着エロのイメージビデオの寄せ集めみたいな感じ。これを僕がさらに複製して売ったところでまあ大丈夫でしょ、と。コピーのそのまたコピーですからね、出どころも分からないんじゃないかなって」
ようするに、泥棒から物を盗んだところで問題はあるまい、というわけだ。裏のさらに裏を好むあんぐら堂らしい智計。実はこの話には余談がある。あんぐら堂は複製のために実際にヤフオクで寄せ集めDVDを購入していたのだが、発送人としてそこに記されていた名前は、その後、日本の裏エロ業界を賑わせることになった、ある人物の名前だったのだ。
「三枝多朗、その後、児童売春、児童ポルノ禁止法違反で逮捕された通称『まほ(誌宝)』の本名です」
この三枝多朗ことまほは、今後、この物語にちょくちょくその名前が登場することになる。つまり、あんぐら堂の人生において、欠かすことのできない重要な人物となっていく。少しだけ説明しておくと、三枝は2011年にDLマーケットという動画販売サイトで自作の児童ポルノを販売した咎で逮捕された男である。警察の調べによれば1年間で売り上げは5千万円以上、被害児童は約50人の上ると見られ、中には13歳の少女もいたそうだ。あんぐら堂の見立てによれば「その数字はおそらく少ない見積もりだ」とのこと。ネットのロリコン界隈においては、いまだその名が語り継がれている、悪しきレジェンドの一人である。
「蛇の道は蛇。まあ、それだけ当時の界隈は狭かったってことかもしれません」
レジェンドとの奇妙な縁、これもまた追い風か。いずれにせよ、こうして再びあんぐら堂は転売屋を再開することになった。かつて裏ビデオを扱っていた時のような勢いこそなかったものの、情報商材と寄せ集めエロDVDの売り上げを合わせれば月に50万円程度のシノギが上がった。生活していくには十分にすぎる収入。リスクの少なさを考えても悪くない。逮捕後、お寺に通うようになった母からは「実家に戻って就職しなさい」と何度も言われていたが、「大丈夫だから」とその都度誤魔化していた。留置場で母を想って流した涙のあとは、シャバのからっ風に吹かれ、すでに痕跡もなく乾ききっていた。
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日々を凌ぐ収入を再び手にしたあんぐら堂は、しかし別の問題も抱えていた。自身が留置中に他の男と浮気していた彼女の存在についてだ。
「もうこいつはダメだ、俺の理想の少女ではなかったな、と思って、だからとりあえず転売で凌ぎながら、あらためて理想の少女探しを始めることにしたんです。金儲けは二の次でしたね、まずは心の支えが必要だ、と」
もちろん、リスクは承知していた。執行猶予中である。最悪の事態になることも十分に想像できたが、5年という歳月をいたずらに消化してしまうことは、理想の少女と出会うという目的の上では、認めづらいところだった。
「5年も経てば自分が歳をとってしまう。少女との歳の差も開いていくわけで、ゲットできる率が下がっちゃうんです。だから、リスクはあるけど、自分が若いうちにとりあえず食いまくることにしたんです」
参考にしたのは、釈放後にオフ会経由で知り合ったイケメンの少女ハンターの助言である。きちんと恋愛をしているということにすれば訴えられることはない、と男は言っていた。狩場とされていたのは例の「フミコミュ」。自身にジゴロの素養はないと感じながらも、とりあえず見よう見まねで狩りを始めてみた。
ところで、少女を食いまくっているというジゴロのイケメンについて、安直なフォロワーを生まないためにも先にその顛末を記しておこうと思う。彼、そして彼のロリコン仲間たちは、やがて一斉に逮捕収監されることになる。それは彼らのコレクション交換が原因だった。彼らはそれぞれが捕獲した少女と撮影したエッチな動画を身内で交換し、また時に少女自体の相互レンタルも行なっていた。少女のノリ次第では仲間内で輪姦を行うこともあったそうだ。
こうした遊びが警察に露見したきっかけとなったのは、当時、彼らの仲間の一人だった自衛官の男だった。その男は仲間のうちでも例外的な存在だった。男にとってセックスとは少女を殴って身動きの自由を奪いレイプすることに他ならず、実際にそれを実践していた。彼らの仲間の多くが単に少女とエッチをしたいだけの微温的なマニアであったのに対して、自衛官のその男は本物の鬼畜だった。当然、そんな悪逆非道を繰り返していればすぐに逮捕される。その結果、押収された彼のパソコンの履歴から、動画を交換していた仲間たちがみな芋づる式に逮捕されることになったというわけだ。
例のイケメンジゴロは、偽装とはいえ恋愛をベースとしていたため、自衛官のような暴力的な行為を少女に行うことこそなかったが、警察が押収した彼のハメ撮りコレクションの中には12歳の少女もいた。13歳以下との性交渉は無差別で一発実刑が慣例である。さらに悪いことに、彼は動画内でその少女を集団でマワしていたのだ。裁判で下された判決は懲役8年。決して小さくない快楽の代償である。
実はあんぐら堂もまた、ジゴロからそのサークルに誘われたことがあったそうだ。「君も自分の捕まえた少女を出してくれるなら、こっちも出したっていいよ」と。だが、あんぐら堂はそもそもスワッピングや輪姦に興味がなかった。自分の中だけで完結した関係が好みであったし、あんぐら堂の願いは少女とのセックス以上に、少女との純愛だった。だから、そうした申し出の全てをあんぐら堂は断っていて、それゆえに彼らの逮捕劇から逃れることができたのだ。
ただし、だからといえ、あんぐら堂が心優しき青年だったかといえば、決してそういうわけではない。鬼畜な真似や、合意のない関係こそ望むことはなかったが、あんぐら堂もまた少女を性的に利用していたことには変わりがないだろう。当時のフミコミュが入れ食い状態だったとのをいいことに、あんぐら堂は取っ替え引っ替え、少女とインスタントな関係を結んでいた。むろん、人間としての少女に興味があったわけじゃない。当時のあんぐら堂にとって、あくまでも少女とは記号にすぎなかった。
「狙ってたのは小・中学生ですが、実際には小学生は難しかったので中学生以上でしたね。会っただけでいえば、1年で7、8人ってとこ。大体の子とはエッチまでしました。でも、正直エッチするだけなら2、3回もヤルともういいやってなっちゃうんですよ。それ以外の時間は喋ってても全然面白くない。相手は子供ですからね。まあ、飽きたからポイじゃ危険なので、自然にフェードアウトしてはまた次の子を探して、みたいなのを繰り返してました」
胸に思い描いている理想的な少女像と、実際に目の前にいる少女たちの姿は遠かった。容れ物としての体は魅力的だとしても、その魂は幼く、無知で、軽薄だった。ありていに言えば、性愛対象にこそなれ恋愛対象にはならない。当然といえば当然だが、あんぐら堂の中には徐々に失望も募りつつあった。
結局、思い描いてきた少女など、ただの幻想に過ぎなかったのだろうか。
孤独なドンファンとなって一年が経過した翌年の夏頃、しかし、あんぐら堂はフミコミュである少女と出会う。15歳、中学3年生、名前はミクルといった。
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「メールの段階からすごく話しやすい子でした。マセてるというか落ち着いてるというか、普通、15歳くらいの子と話すときって、こちらが頑張って合わせる必要があるんです。だけど、自然体で話していて普通に楽しい。趣味も合ってて、お互いにドラクエが好きだったり、あとはお笑いとかのタイプも近くて。サンドイッチマンみたいな健康的な笑いより、小藪とか有吉とかの毒のある笑いが好きなところも」
最初はいつものようにヤリ捨てるつもりだった。初デートはとしまえんのプール。ジゴロから聞いた「チケットを貰ったという口実が誘いやすい」という話をそのまま実践したのだ。レンタカーを借りて迎えにいった先に現れたミクルはあんぐら堂のタイプだった。ほっそりとした体に、愛嬌と影を共存させたような顔立ち。中三の夏。ハンターにとって一番の狙いどころである。実際、ミクルはまだ処女だった。
「車の中の会話も弾みました。しかも、幼いのに雰囲気がエロいっていうか、急に『ママが浮気しててさ』みたいなことを話し始めたり、なんか性的なことを匂わせてくるんです。まあ、後で聞いたところ、小学生くらいの頃からずっとエッチに憧れてきたそうで、ネットでもエロサイトばかり見てたって言ってましたから、まあお互いに求めるものが一致してたんでしょう」
とはいえ、最初のデートはプールの帰りにご飯を食べて、車の中でキスだけして終わった。行為に至ったのは次のデート。池袋のゲームセンターで遊んだ後、高田馬場のマンションに連れ込んだ。中三の背伸びしたい時期、「お酒でも飲もうか」という男の誘いにも、ミクルが拒むことはなかった。ここまでは、ここ一年の遊び方と大きく変わらない。しかし、ことが終わった後に、あんぐら堂は自分の中にこれまでとは異なる感情が芽生えていることに気づく。
「今までの子は年齢が好きなだけで、一緒にいてもつまらなかったんです。エッチしたら早く帰ってほしいっていつも思ってました。ただ、この子は一緒にいるだけでも妙に楽しい。不思議な子でした。だいたい、僕に引っかかる子って片親だったりするんですけど、彼女はごく普通の家庭で育った子で、ある意味、突然変異というか。よく分からないけど、すごく居心地がいいんです。また会いたいなって素直に思えたというか」
あんぐら堂から直接その言葉が出てきたわけではないが、おそらくそれは「恋」である。天邪鬼な彼らしく「中高が終わったら捨てようと思ってましたけど」と言い添えながらも、ミクルとの蜜月については純粋に楽しかったと告白する。ある時、あんぐら堂はおふざけ半分でミクルが寝ている深夜に100通くらいのメールを送りつけたことがあったという。「普通、引きそうなのに彼女はそういうのも笑ってくれるんですよ」と微笑ましげに述懐するが、好きな男にそれをされて嫌がる女なんていない。なぜそんなことも分からないのか。その答えはあんぐら堂にとってミクルが初恋の相手だったからではないかと僕は想像している。少なくともミクルは、あんぐら堂が単なる記号としてではなく、一人の異性として心を通わせた最初の女性だったのではないか、と。
恋人たちのデートはもっぱら週末で、平日は転売の仕事に勤しんだ。甘く、平和的な時間はあっという間に流れ、そして、一年が過ぎた。
「彼女が高一の秋くらい、例によって転売で得たお金の入った架空口座から現金を引き落としに新大久保のATMへ向かったんです。いつも原付で向かっていたんですが、その時もそうでした。ATMに着いて、面倒だったのでヘルメットを被ったまま中に入り、お金を引き落としたんです。なんかあった時に顔が見えてない方がいいだろう、という頭もありました。で、ATMから出て行こうとした時、たまたま巡回してる警察と鉢合わせました」
月に叢雲、花に風。
「ヘルメット男がATMから出てきたわけですから、当然、怪しいわけで、すぐに職質です。『やばい』と思いましたが、唐突なことすぎてうまいこと切り返せない。そもそもお金おろしてたのはバレてるわけですしね。で、口座を見せろ、と。運の悪いことにその架空口座は女性名義でしたから、これ君のじゃないよね、と。返す言葉もありませんよ。はぁ、とか、へぇとかしか言えず。すぐに新宿警察署に連れていかれ、その場で逮捕です」
あんぐら堂、執行猶予中の二度目の逮捕。
(つづく)